第9回 兵庫県三木市 〜天下人・秀吉による街の復興政策から始まり日本一に上り詰めた三木の金物
兵庫県の南東部にあり、東播磨に位置する三木市。人口約77000人。日本を代表する金物の街である。三木市が日本一の金物の街に発展した陰には、あの天下人・豊臣秀吉の存在がある。当時、三木市は別所氏によって統治されていた。そこに現れてきたのが秀吉である。1580年に秀吉は織田信長の命を受け、別所長治の居城・三木城を兵糧攻めで落城させた。その際、三木の街は秀吉によって寺や古い街並みが焼き払われ荒廃。その後に秀吉が三木の街の復興事業に着手。今の三木の街の礎を築いていった。
まず秀吉は、各地から大工職人を集め、彼らに必要な大工道具を作る鍛冶職人が増えて現在の発展につながっていく。復興が一段落すると大工職人は出稼ぎに出るようになり、持っていた大工道具が行く先々で評判となり、次に出向くときには品物として売りさばいていった。江戸時代後半、ノコギリ・カンナ・ノミのほかにハサミなどの刃物、ヤスリなどの生産品目も多くなっていく。1751年には、材料の仕入れや製品の販売に当たる仲買人が誕生し、その仲買人が大きくなって仲買問屋へと発展。1792年に「作屋」など5軒が仲買仲間を結成して運営を始めた。
三木の金物は主に大坂商人によって発展を遂げ、大坂中心の市場を形成した。1803年には江戸の炭屋七右衛門から引き合いを受け、江戸との取引が開始されて全国へと知られ、また、1880年(明治13年)頃からは、輸入され出した洋鉄や洋鋼を使い、製造工程の合理化で量産が可能となった。その結果、金物問屋だけでさばくことが困難となって直接、各地方へ出張販売し、ここから三木の金物は本格的に全国へ広がっていった。1945年(昭和20年)の第二次大戦終了後は、焼け野原と化した日本全国における復興事業で、大量の大工道具が必要とされて三木の金物の需要が急増。伝統的な大工道具のみならず、近代的な金物製品を生産販売する日本屈指の金物産地として発展し、日本一となった。
その三木の金物だが、1996年(平成8年)4月に「播州三木打刃物」として、経済産業省から国の伝統的工芸品の指定を受けた。さらに2008年(平成20年)に三木金物は地域団体登録商標(地域ブランド)として認められた。1952年(昭和27年)から三木市では、毎年11月第1土曜日・日曜日の2日間、「三木金物まつり」が開催されている。市内外から約18万人の来場者を迎え、市の一大イベントとなっている。
この三木市は、金物のほかに酒米で有名な山田錦やゴルフ場の数が多いことでも知られている。2005年(平成17年)12月に隣の吉川町と合併し、山田錦の主要生産地となった。また、市内に25か所のゴルフ場を擁し、西日本で一番かつ、全国では千葉県市原市に次いで第2位のゴルフ場大国でもある。
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