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第8回 愛知県名古屋市     〜400年の伝統が誇る 荒地が変身した街道一の街並みと日本一の有松・鳴海絞り

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「 尾張名古屋は城で持つ」と言われるほど、金の鯱(しゃちほこ)が代名詞となる名古屋城。この名古屋市は人口232万人の大都市である。1608年(慶長13年)に江戸に幕府を開いた徳川家康の九男・義直が初代尾張藩主を務めたが、その尾張藩が庇護して奨励した産業がある。有松絞りである。布をくくって染める絞りの技術で、様々な文様を描き出す木綿絞りのことで街道一の名産品ともいわれ、天下人・家康も大変気に入って愛用したものである。 この有松絞りは、手が醸し出す味わい磨き抜かれた匠の技が創り上げる精緻な模様と独特な風合いが特徴だ。一人一芸とも言われ芸術の域に達し、分業化された産業として発展していった。明治時代になると営業が自由となり、1900年(明治33年)にはパリ万国博覧会に出品し、6人の受賞者が生まれている。世界中に日本に有松ありを印象づけた。大正・昭和戦前には生産高は100~120万反となり、さらなる発展を遂げたが、戦時中は職人を徴兵に駆り出されて多くの事業者が廃業を余儀なくされ、厳しい時代もあったようだ。  戦後は生産が回復して、1975年(昭和50年)9月には「有松・鳴海絞り」として、当時の「通商産業省指定伝統的工芸品」として愛知県第1号の認定を受けるに至った。有松・鳴海地域は、全国一の絞り染め産地となっている。  有松という地だが、当初は雑草や松林で覆われた地で、耕作面積が極めて少なく、とても農業には向かない荒地だったが、農産物以外に何か特産品を、ということで誕生したのが有松絞りである。名古屋城の築城の際、九州豊後の大名の家臣が身に着けていた絞り染めに魅せられた竹田庄九郎が考案したと言われている。当初は手ぬぐいを販売していたが17世紀後半には浴衣が売れていった。さらに二代目・庄九郎は従来の藍染めに加え、紅染めや紫染めなどの染色技術を極めて100種類を数え、街道一の名産品とも言われ旅人の土産物として活況を呈した。有松の街は参勤交代で賑わう東海道一の宿場町としても栄え、当時の街道一の街並みの面影を残している町屋も立ち並んでいることから、有松の街並みは国選定重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。葛飾北斎や歌川広重が浮世絵に描いた街並みとしても知られている。毎年6月の第一土曜日と日曜日に「有松絞り祭り」は開催され、10万人以上の来場者が集まるほどの人気ぶりである。  提供:一