第7回 島根県奥出雲町 〜鉄の歴史1400年の灯は消さない「たたら製鉄」
今から1400年ほど前の奈良時代から、鉄を作り続けている地域がある。島根県奥出雲町である。中国山地の砂鉄と木炭を原料として、当時、世界一とも言われた高品質な鋼を生産し、江戸時代後期から明治時代初期にかけての最盛期には、全国の生産量の大半を占め、日本随一の鉄の生産地となっていた。
経営の維持には財力が必要であることから、旧松江藩は、田部家、櫻井家、絲原家の三家を鉄師として製鉄を許可。藩の財政を潤した。これら三家は、奥出雲三大鉄師と言われ、特に田部家は、1921年(大正10年)まで170年にわたって操業した。その後、安価な洋鉄が流入し1925年(大正14年)には一旦、生産は途絶えたが1931年(昭和6年)満州事変を契機に軍刀の需要に応え復活した。
現在の奥出雲町一帯が鉄の生産拠点だが、隣の安来市、雲南市でも鉄は生産され、特に安来市は日本海に沿った港町で、鉄の積み出しで栄え、北前船が行き交う鉄の交易の拠点だったようだ。奥出雲地方に広く分布する花崗岩は真砂土と呼ばれ、良質な砂鉄が今に伝わっている。土砂を河川に流して砂鉄を採取する仕草が安来節のドジョウすくい踊りの由来ともなり、そこから派生したドジョウすくい饅頭は安来市の銘菓ともなっている。
そんな鉄の生産も第二次大戦が終わると廃止となったが、1977年(昭和52年)に「日刀保たたら」として復活し、現在唯一操業している。製鉄の伝統技法を「たたら」といい、日本刀の材料となる玉鋼(たまはがね)を製造するのが「日刀保たたら」である。現在は日立金属支援のもと、玉鋼の製造と技術の伝承、技術者の養成を目的として、財団法人日本美術刀剣保存協会が運営している。1400年続く鉄の伝統の灯を消させまい、と毎年冬に数回操業して守っている。
733年に編纂された「出雲國風土記」には、この地で生産される鉄は硬く、多種多様な道具を作るのに最適、との記載がある。2016年4月(平成28年)には「鉄の道文化圏推進協会」の「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~」が文化庁の「日本遺産」に認定されている。現在、鉄の生産がなされていない跡地一帯は、広大な棚田に再生され、そこで作られたお米は「奥出雲仁多米」という高品質で高い評価がされている。
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戦国時代に出雲国を支配した尼子氏の黄金時代を築いた尼子経久公像。鉄の生産が財政を支え、大きく躍進した。あの中国地方の覇者である毛利元就が若かりし頃、壁に立ちはだかった好敵手でもある。
(島根県安来市広瀬町 三日月公園)
(2009年5月撮影)
奥出雲町は昭和の名推理作家である故・松本清張氏の名作「砂の器」の舞台ともなった。
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