第3回 北海道余市町 〜日本人に本場のウイスキーを飲んでほしい! 信念が成就したニッカウヰスキー
北海道の西部、積丹半島の付け根に位置する人口約2万人の余市町。ここは青森県や長野県には劣るものの、知る人ぞ知るリンゴの産地である。明治時代、戊辰戦争で会津藩は新政府に敗れたが、藩が取りつぶされた会津藩士たちは北海道の小樽と余市に派遣されて開拓を命じられた。その後、相当の苦労をしながら日本で最初にリンゴ栽培に成功したと言われている。そのリンゴが支えた事業が今も余市町に存在している。ウイスキーである。その名は『ニッカウヰスキー』。1934年(昭和9年)に竹鶴政孝氏が創業した。 竹鶴氏は若くして単身でスコットランドに渡り、2年間ウイスキー造りに取り組んだ。その際に後に語り継がれる『竹鶴ノート』を2冊書き残している。このノートにはウイスキーの製造方法や設備のイラスト、スタッフの労働条件などが記されている。ご存知のとおり、ウイスキーは最低でも3年間は熟成させる必要があり、その間は売上が生じない。そこでニッカウヰスキーを支えたのが、リンゴを使ったジュースやワイン、ブランデー、セリーなどである。リンゴがなければニッカウヰスキーは誕生していないと思われる。ちなみに現社名の「ニッカ」は創業当初の社名が大日本果汁であり、そこから「日」と「果」から取られた。 竹鶴氏は、この余市町という土地がスコットランドに風景や気候が似ていること。また適度な湿度と澄んだ空気、ウイスキー造りでは生命線となる良質な水が豊富にあることが決めてとなり、工場建設を決めたと言われている。また、「日本人に本場・スコットランドのウイスキーを飲んでもらいたい。」この一心でウイスキー造りに取り組まれたようである。資金繰りや太平洋戦争といった数々の困難に見舞われても、その思いや信念が支えとなり、ウイスキー造りを続けることができたと思われる。 最初は本場・スコットランドのウイスキーの味は「煙くさい」とも言われ日本人の舌に合わなかった。それでも「石炭直火蒸留」と言われるポットスチルを石炭を使って直火炊きで蒸留する製造方法にこだわり、ウイスキー造りを継続していった。やがて戦争が終わり、ようやく日本人に受け入れられて現在に至っている。ご記憶の方もおられると思われるが、2014年度下半期にNHK朝の連続テレビ小説『マッサン』でドラマ化されて放送された。 竹鶴政孝氏は、1979年(昭和54年)に亡くなられたが、会長室として使...