第33回 愛知県岡崎市 〜75歳まで生きた徳川家康を天下人に導いた長寿の秘訣・岡崎の八丁味噌
人口が約38万人の愛知県岡崎市。周知のとおり、あの徳川家康の生まれ故郷である。名将と呼ばれた武田信玄が53歳。その好敵手・上杉謙信は49歳。家康と同盟を組んだ織田信長も49歳。これらに比べて家康は享年75歳。家康が60歳にして天下人になり得た要因として長寿であったことが挙げられる。その家康がよく食していたものが、岡崎市の名産である八丁味噌だ。
八丁味噌の始まりは、約700年前に遡る。岡崎城から西へ八丁(約870M)の八帖町で作られてきた濃くて深い味わいが特徴の豆味噌である。大豆のみで大豆麹を造り、塩と水と一緒に木桶に仕込んでいき、水を少量しか使わない製法だ。普通の味噌に比べ、体を綺麗にしてくれる物質を多く含み、抗酸化作用や腸内環境を整えるなど、効果がある味噌である。
八丁味噌が作られている岡崎市八帖町は、東海道と矢作川の水運が交わる水陸交通の要衝であり、大豆や塩を入手しやすく、また作られた八丁味噌を出荷するのに適した地の利に恵まれた土地であった。保存性に優れていたため、三河武士の兵糧として岡崎藩に保護され、藩御用達の味噌ともされた。江戸時代には街道を往来する参勤交代やお伊勢参りの旅人を通じて、八丁味噌が全国に知られていった。
八丁味噌は職人が手で玉石を山のように積み上げて重石とし、二夏二冬以上という長期間にわたって熟成させている。桶一杯の味噌は約6トン、積み上げる石の山は約3トン、時間と手間がかかって大量生産ができない。薄暗い蔵には高さ2Mの大きな木桶、さらに3トンもの重石が円すい状に高々と積まれている。重いもので1個50kg以上もあり、地震でも崩れないほど、隙間なくガッチリと組めるようになるまで7~8年修行が必要な作業だという。積まれる重石は、塩分やうまみを桶全体に均一に回す役目があり、2年以上かけて熟成させるとまろやかな味わい深い味噌が仕上がっていく。
現在、この八丁味噌を作っているのは、1333年創業の蔵元「まるや八丁味噌」と1645年創業の「カクキュー八丁味噌」の2社のみ。この2社は旧東海道をはさんで南と北に位置しており、切磋琢磨しながら伝統の技と味を守りおいしい味噌が作られてきたという。
最後に『人間50年』と言われた時代において、信玄をはじめとした強者たちが50歳前後にしてこの世を去って行った中、天下分け目の関ケ原を制して60歳にして天下を手中にした徳川家康。岡崎市の名産品である八丁味噌が家康を長生きさせ、天下人に導いた秘訣と言っても過言ではないだろう。
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徳川家康の生涯唯一の負け戦と言われた武田信玄との三方ヶ原の戦いでは完膚なきまで打ちのめされた。その惨めな自分の姿を銅像とした「しかみ像」。その後の家康の人生において座右の銘ともされた。
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