第24回 山口県萩市   〜明治維新のふるさとは、毛利家長州藩以来400年の歴史ある萩焼を生んだ

 山口県萩市。人口は約4万3千人。萩と聞くと吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文など、日本を変えていこうと立ち上がった志士たちの名が浮かぶ人々も多いのではないだろうか?萩の街が『明治維新のふるさと』と言われる所以がここにある。この萩の街に400年以上続いている伝統産業がある。萩焼である。佐賀・有田焼ほど知名度はないが、「一楽、二萩、三唐津」と呼ばれるほど、国内外から芸術性が高く評価されており、2002年(平成14年)1月に国の伝統的工芸品の指定を受けている。観光土産としても幅広い層から支持を集めている。

 萩焼の始まりは毛利輝元公にある。周知のとおり、輝元公は1600年(慶長5年)の天下分け目の関ケ原の戦いで西軍総大将に祭り上げられて徳川家康の東軍に敗れ、120万石の領地を周防・長門の二国に大幅に削減された。その後、当時は交通の要衝だった瀬戸内海沿岸に城を築くことは徳川幕府から許されず、日本海側の萩の地で生きていかねばならなくなった。1604年(慶長9年)に萩城は完成し、輝元公は朝鮮から二人の陶工を萩に招いた。そこで、藩の御用窯を開き萩焼の始まりとなった。長州藩のみならず徳山藩などの毛利一族の御用釜として寄与し、「高麗茶碗」の技芸を持つ陶工によって、朝鮮王朝の様式に伝承する茶陶を中心に発展した。

 萩市は窯業として有名な街であり数多くの陶工を輩出した。萩焼の大きな特徴は焼き上がりの土にやわらかさとその吸水性にある。主原料である「大道土」と萩市の離島である見島から「見島土」という2種類の土が使われている。吸水性があるので長年使っていると、器の表面にある細かいヒビ模様が現れて茶碗の趣が変わり、茶人の間で「萩の七化け」と言われて珍重されている。

 萩焼は明治時代に入ると藩の御用窯は民営化され、苦しい経営を余儀なくされたが、1877年(明治10年)に内国博覧会で坂高麗左衛門が鳳紋賞碑を受賞して注目された。太平洋戦争に突入した物資欠乏の時代には、「工芸時術保存資格者認定」のもとで萩焼の伝統を維持。戦後の混乱期には日用雑器を中心として生産し、戦後の人々の暮らしを支えた。高度経済成長期に入ると、茶道や焼き物が盛り上がりを見せて萩焼の需要が拡大。現在では個人作家の作陶が中心となり、100を超える窯元が萩市内には存在している。そして、毎年5月の大型連休と秋に萩焼祭りが開かれており、多くの来場者を集める人気ぶりである。

 最後に萩で忘れてはならないのが夏ミカンである。1876年(明治9年)に初めて入植され、4年後の1880年(明治13年)に納得のいくものが出来上がった。これは禄を失い困窮した武士たちの救済を目的として始まったものである。1926年(大正15年)5月にのちの昭和天皇が萩を訪れた際に、「この街には香水がおいてあるのか?」と言われたほど、栽培が最盛期を迎え、香りのおもてなしをしたという逸話が残されている。

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萩の街に萩焼という伝統産業を根付かせた毛利輝元公像。大幅に領地を削減をされ、財政状態が厳しかった際、決死の改革で藩の財政を立て直した。これが幕末の倒幕につながった。

(山口県萩市) 萩城内指月公園

(2007年6月撮影)



幕末の教育者とも言われる吉田松陰を祀る松陰神社。松陰は萩の松下村塾で高杉晋作や久坂玄瑞ら、新しい日本を作ろうと立ち上がる若者たちを育てた。

(東京都世田谷区若林) 松陰神社

(2012年11月撮影)



毛利氏が萩に築城した後、江戸への参勤交代のために整備された街道である萩往還に建つ三人の銅像。中央が日本の行く道を示す吉田松陰公。左が久坂玄瑞公。右が高杉晋作公。


(山口県萩市) 萩往還

(2010年10月撮影)


萩往還にある松陰記念館では、松陰主宰の松下村塾の様子が再現されている。

(山口県萩市)  萩往還

(2010年10月撮影)






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