第22回 鹿児島県鹿児島市 〜100年の時を経て復活。西郷どんを見出した名君・島津斉彬公が残した薩摩切子
明治維新を成し遂げた西郷隆盛と大久保利通。日露戦争においてバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎など、数多くの偉人を生み出した旧薩摩藩の鹿児島市。人口は59万人。 中でも冒頭の西郷を見出した28代薩摩藩主だった島津斉彬公は国の将来を憂い、「集成館」という工場を作り、製鉄や造船、紡績、ガラスなど多くの事業を生み出した名君である。
その中でも、一度は途絶えながらも100年の時を経て、1985年(昭和60年)に復活した事業がある。現代において多くの方々が知る『薩摩切子』である。斉彬公は集成館事業の一環として、長崎から伝来した外国のガラス製造に関する書物をもとに江戸からガラス職人を招く。そして、世界への輸出を目的としてガラス工芸品を生み出した。そのガラス工芸品は将軍家への献上品として、また全国各地の大名に贈答品とされるなど薩摩藩の殖産興業の一つとして高い評価を受け、日本初の発色に成功したガラスは「薩摩の紅ガラス」と呼ばれた。しかし、1858年(安政5年)にその斉彬公は急死。その後、薩英戦争や明治維新、西南戦争などでガラス工芸づくりが途絶えた。
そんな状況の中、薩摩のガラス工芸品を復活させたいと職人が集い、『薩摩切子』が誕生した。ガラスの切子は現在でも東京や大阪でも作られているが、『薩摩切子』には「ぼかし」という特徴がある。「ぼかし」とは、透明ガラスの上に色ガラスを厚く被せ、様々な文様を彫っていく卓越したカット技術で生み出され、そのグラデーションの様は見る者に温かみを感じさせるものである。『薩摩切子』はクリスタルガラスとも言われ、透明度と光の屈折率が高く、高品質で無色透明なガラスで輝きが水晶のようであることから名付けられた。
全国的に知名度が高い江戸切子との違いは先述した「ぼかし」のほか、すっきりとした単文様のデザインが好まれる江戸切子に対し、『薩摩切子』では複数の文様が組み合わされたゴージャスなものが多く、デザインにも違いが見られる。その『薩摩切子』は復活から12年後の1997年(平成9年)に鹿児島県から伝統的工芸品として指定を受けた。(但し、まだ経済産業省の伝統的工芸品としての指定は受けていない)
『薩摩切子』を後世に残した斉彬公だが、現代において鹿児島市の銘菓として有名な『軽羹(かるかん)まんじゅう』がある。これも斉彬公が生み出したものと言っても過言ではない。江戸から製菓を業としていた職人を薩摩に招き、自然薯(天然の山芋)と米粉、砂糖だけで作られており、当時から島津家の御用菓子だった。鹿児島を訪れた際にはぜひ、ご賞味してみては。
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