第10回 さいたま市岩槻区 〜ひな祭り・端午の節句など日本の文化を現代に伝えた岩槻の人形
商都の大宮、文教の浦和、その中間に位置する与野、これら三つの都市が2001年に合併し、さらに2005年には人形の岩槻が加わり、人口130万人を超える現在のさいたま市が誕生した。最後に加わった岩槻は、1457年に太田道灌が岩槻城を築いた5万5千石の城下町でもある。
その岩槻は人形の街として全国に知られている。始まりは江戸時代後期。城下町であった岩槻は日光御成街道の宿場町でもあった。元々、岩槻は桐の産地であり桐細工で有名だった。そこに日光東照宮の造営や修復にあたった工匠が住み着き、桐を使った箪笥が作られるようになった。桐粉が生じること、さらには良質な水にも恵まれて人形づくりが盛んになったと言われている。
岩槻の人形の特徴は、頭と目がやや大きくて丸顔で愛らしい作り、華やかな彩色が使われること、さらには人形の肌が滑らかで髪も人毛のような美しさにある。滑らかで美しい人形の肌は、膠(にかわ)と胡粉から作られ、髪に使われているのは生糸で人毛によく似た柔らかいものを使い、髪付師によって丁寧に作っている。
明治時代に入ると、五月人形などの岩槻の人形は生産が拡大し、国内有数の産地となって江戸時代の面影を伝えていった。1940年(昭和15年)には人形の生産は中止に追い込まれたものの、戦後は東京から人形職人が移住し、技術力がレベルアップ。宣伝広告活動も積極化して販路を全国に拡大させた。昭和の最期辺りでは、埼玉県の人形生産出荷額は国内の40%となり、うち岩槻の人形は70%を占め、人形は岩槻という地位を確立させた。
1978年(昭和53年)に「江戸木目込人形」が、さらに2007年(平成19年)には「岩槻人形」が経済産業省から伝統的工芸品の指定を受けている。岩槻は、五月人形や木目込人形、歌舞伎人形など、一つの産地で多様な人形の製造を手掛けているまさに人形の聖地といってよく、現代にひな祭りや端午の節句といった日本の文化を今に伝えてきたと言っても過言ではない。
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2020年2月に開館した岩槻人形博物館。
様々な人形の展示はもちろんのこと、1927年に渋沢栄一がアメリカと人形交流をしていた記録も展示されている。
さいたま市岩槻区
(2021年5月撮影)
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