第34回 兵庫県伊丹市 〜江戸の人々から賞賛されたうまい酒の代名詞・伊丹諸白で伊丹市は清酒発祥の街
大阪国際空港を擁する兵庫県伊丹市は人口約20万人。米大リーグで長く活躍し、現在はプロ野球の楽天イーグルスに在籍する田中将大投手の出身地でもある。1995年(平成7年)1月17日の午前5時46分に起きた阪神淡路大震災では壊滅的な被害を受けたが、見事な街づくりで復興がなされている。
伊丹市は清酒発祥の街として知られている。1600年(慶長5年)に山中新六幸元が伊丹市北部の鴻池で双白澄酒(伊丹諸白)を造ったことが始まりだと言われている。室町時代からあった段仕込みを改良して、麹米・蒸米・水を3回に分ける三段仕込みとして効率的に清酒を大量生産する製法を開発した。それまでの濁り酒(どぶろく)から清酒を醸造する技術が確立され、国内において本格的に清酒が一般大衆にも流通することになった。
山中新六幸元は、出雲国尼子家の家臣で「山陰の麒麟児」ともあだ名された山中鹿介の長男であり、武士の身分を捨てて摂津国に落ち延び、醸造家として生きる道を選んだ。その幸元を始祖とする鴻池家が、濁り酒から清酒を作ることに成功したという伊丹市の記録が残っているという。
その鴻池家が作ったお酒は、殆どが江戸に運ばれて「下り酒」と称され多くの人々に飲まれた。伊丹の酒は賞賛され、うまい酒の代名詞となる。「丹醸(たんじょう)」と呼ばれた高品質なお酒は、銘酒番付でも上位を占め、将軍家の「御膳酒」となった。江戸での成功によって財をなした鴻池家は、その後、大阪に移り、豪商・鴻池家に発展した。
しかし、江戸時代後期、幕府による酒造業への統制が厳しくなり、多くの酒造産地が衰退や消滅をしていった。伊丹でも1666年(寛文6年)から領主となった近衛家による酒造業の保護育成と品質の良さから生き残りに成功し、日本一の酒造産地として発展していった。
隆盛を極めた伊丹の酒造業は、次第に瀬戸内海に面し海運に適していた灘に江戸でのシェアを奪われ始め、幕末から明治にかけて大きく衰退した。現在、伊丹市内において酒造業を営んでいるのは、「白雪」の小西酒造と「老松」の伊丹老松酒造の2社だけとなった。しかし、400年の伝統と革新の清酒が今でも作り続けられている。
最後に、「伊丹諸白」は2020年(令和2年)6月に文化庁から日本遺産に認定された。かつて日本一の生産地であったことと、清酒発祥の地であることが伊丹市にとって誇りであると言っても過言ではない。「清酒発祥の地」を謳う伊丹市では、2013年(平成25年)10月1日に「清酒普及促進条例」を施行し、清酒による乾杯の普及に努めている。
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