第12回 石川県金沢市      〜加賀百万石の祖・前田利家公の意向により始まった日本一の金箔銀箔(金沢箔)

 豪華絢爛なイメージがある加賀百万石の代名詞・金沢市。人口45万人。北陸地方随一の都市である。陶芸、漆、木工、金工、染織などの分野においては、重要無形文化財保持者(人間国宝)の数が東京や京都を凌ぐ日本を代表する工芸都市でもある。

 金沢こと加賀百万石の祖・前田利家が現代に残した伝統産業がある。金沢箔である。利家が1593年に朝鮮戦争での陣中から、加賀に送られてきた金箔と銀箔の製造を命じた文書が金沢に残っており、利家死去後、江戸時代初期に多くの箔打ち職人が金沢に招かれて金箔事業は栄えて行った。

しかし、最大の外様大名・加賀藩前田家に睨みを利かす徳川幕府は、金箔製造の取締りを開始し、17世紀末には金箔は江戸、銀箔は京都の箔屋以外には製造が許可されなくなった。

 そこで、金沢では禁じられていない真鍮箔の製造や江戸や京都から購入していた金銀箔の打ち直しなどにより、製箔技術が伝えられてきた。その後、江戸時代後期に金箔打ちの公認を求める職人たちの運動によって、金沢藩の御用箔に限り金沢での製造が許可された。

 明治時代に入ると製箔の統制はなくなり、幕府の庇護のもとで行われていた江戸での金箔作りは途絶え、金沢の高度な箔打ち技術や製箔に適した気候や水質などによる金沢箔の品質が全国に認められていった。その後、箔打機が完成すると金沢は金箔産地として発展し、現在では金箔は98%、銀箔は100%の全国生産高を誇っている。1977年(昭和52年)には通商産業省から伝統的工芸品の指定を受けた。

 金沢箔には①酸化しない②変色しない③腐食しない、という3つの特徴があり、仏壇、金屏風、西陣織、漆器など多くの工芸品や美術品などに欠くことができない資材として広く活用されている。近年では、生活様式の変化に対応してインテリア用品、地酒、菓子などの食料品や化粧品までに幅広い用途に使われている。また、金箔は世界遺産の修復にも活用。1987年(昭和62年)には金閣寺で20万枚。日光東照宮では毎年の修復に2万枚が使用されている。

 金箔をはじめとして、加賀友禅など多くの伝統工芸品が生み出されている金沢は、徳川幕府から何かと言いがかりをつけられるなど、対応に苦慮してきた歴史がある。そこで、加賀藩二代藩主・利常は故意に鼻毛を伸ばしてバカ殿を演じ、徳川幕府を油断させて欺き、伝統工芸に注力して加賀藩としての力を蓄え、百万石文化を確立させた。利常の下記の言葉が残されている。

 「三国(加賀・能登・越中)を守って、家臣たちが安泰に暮らせるための鼻毛だ。バカなふりをしておけば、幕府から敵視をそらすことができる」

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伝統工芸の街・金沢のシンボル金沢城。

1583年に前田利家が築城を開始した。

(石川県金沢市) 金沢城公園

(2009年3月撮影)




水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並んで、日本三大名園の一つである兼六園。江戸時代を通じて加賀藩の大名庭園だった。

(石川県金沢市) 兼六園

(2009年3月撮影)



加賀百万石の祖と言われる前田利家公像。
1598年8月秀吉の死去後、天下を狙う徳川家康に睨みをを利かすが、半年後の1599年3月死去。そろばんを戦場でも持参したソロバン大名でもある。

(石川県金沢市) 金沢城公園前

(2009年3月撮影)


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